バード電子
Mercy 1/2
発表時期:不明
販売価格:\ 6,980
ハードディスクインテリアの「適度な機械美」の話。
だいたいにおいて男子は「機械好き」。ハイテクノロジーにも惹かれる人が多いし、機械的な構造美にも惹かれる人も多い。僕はどっちもだが、どちらかというと「スタイル」に惹かれる傾向がある。子供の頃、電子部品がブロックになってパズルのように組み合わせることで遊ぶ「電子ブロック」という玩具があって、これでよく遊んだんだが、これに惹かれたのは「電子」という言葉によるイメージと、ボディーがハイテクっぽいデザインだったからだ。電子ブロックには配電図や回路図のマニュアルが付属していたが、まったく読まなかった。父親が電子関係だったので、その手のパーツはたくさんあったのだが、これにも興味がなかった。要は「電子」や「機械」が持つスタイル、そこから広がる可能性に興味があったのであって、テクノロジーそのものへの執着はなかったのだ。
バード電子が販売している Mercy というハードディスクのインテリアキット。機械美を見事に表現している。アクリル越しに見えるハードディスクの内部はいってみれば「現代のハイテク集大成」である。データが記憶されるディスク、高性能なヘッドとモーター、それをコントロールする驚異的なテクノロジーがコンパクトなボディに集約されている。眺めていて実に飽きない。
そして、僕はここを強調したいのだが、そこから発散される機械美が「適度である」ことが重要だ。例えば、コンピュータの基盤がアクリルに入ったからといって、それは美しくない。基盤を構成する要素が多く、テクノロジーが Too much になってしまいゲンナリする。iMac のグラファイトが登場した時に「おおお!」と思ったのも、基盤ではなくブラウン管の部品を見せたからであり、透明にして見せればよいものでは決してないのだ。
このハードディスクキットも、何層もの記憶ディスク、繊細な動作をしそうなヘッドという要素が美しいのであって、ハードディスクの裏面にある電子基盤は美しくもない。実際の「機械パーツ」とそこから連想される「テクノロジー」。この「適度な機械美」がポイントだと思う。
デザイナーの中林氏に聞いた話だが、バード電子の齊藤社長はノートブックのインタークーラーなどの彼らのプロダクトを「デジタル民芸」と表現しているようだ。デジタルなデバイスのための手作りの民芸品。「デジタルすぎない案配」がここらへんにあるのではないだろうか。
バード電子よりサンプル品をいただいたので作ってみました